水原徳言(みはらよしゆき)
タウトが井上房一郎に招かれ高崎で工芸品製作の指導をした時期(1934年8月)に、その一員として働くことになった。水原は井上漆部で仕事をしていたが、すでにタウトの名声を知っており、助手のようにして多くを学んでいった。工芸品を販売する銀座ミラティス開店時には図案設計から販売まで、当店で扱う工芸品のほとんどに関わるようになっていた。